音楽に力はあるのか

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いつ頃から始まったのかはわからないけど、
「『音楽の力』『スポーツの力』『○○の力』・・・でみんなを元気にしたい!」
っていう言い回し、あるよね。とてもきれいに聞こえるし使いやすい言葉だと思う。

でも、僕はちょっと嫌い。押しつけがましい。

「これすごいでしょ?なのに、なんであなたは感動しないの?」と言われている気がする。

「こっちはこんなに頑張ってるのに感動しないなんて、あなたは冷たいね」と言われているような気分になる。

「感動したふり、元気になったふりをしなきゃ」「みんな感動しているのに自分だけ冷めてるのは、自分がおかしいのか」と思ってしまう。

「音楽の力」慰問コンサート

どうしてこんなことを言うのかというと、京都橘高校吹奏楽部(KT)出演予定のイベントに2023年1月21日、22日「倉敷市真備町へ届け!「音楽の力」慰問コンサート」というのがあったから。

KT出演ありきで計画されているイベントらしいので、どんなものかちょっと気になる。4年前の水害からの復興を願うイベントのようだけど詳細はよくわからない。

「KTの演奏→音楽の力→みんな元気になる→イベントの目標達成」という流れなんだろうか。

イベントの実行委員会は、開催にあたって行政や企業のサポートをもらっているとしたら、実績報告書には「演奏により災害から立ち上がる力を市民に与えることができた」と成果を記録するんだろうか。

PARADE&KITCHEN inふそう 70th

そんなことを考えていたら、10月29日開催のPARADE&KITCHEN inふそう 70thのHPにも、

マーチングバンドで世界的に活躍する「京都橘高等学校吹奏楽部」をゲストに招き、パレードを通じた圧倒的パフォーマンスで、皆様へ”元気”をお届けします。(中略)

※なお本イベントは「元気な愛知の市町村づくり補助金」を活用して実施されるイベントです。

と書いてあった。ま、実際はキッチンカーが沢山出て、いろんな団体が演奏して、というよくあるイベントなんだと思う。イベントをやるには金を出す側の思惑に沿ったコンセプトが必要だからこういう書き方になるのかもね。

KT挨拶

KTは「元気いっぱい!笑顔いっぱい!夢いっぱい!」をテーマに活動している。

過去のKTのイベントで、部員さんがマイク挨拶することがあったと思うんだけど、「私たちの音楽の力で皆さんを元気にしたい」というような言い方は、自分の知ってる限りでは聞いたことがない。KTのようなアクティブな団体だと使いそうな言葉だけど、使ってないと思う。

KTの言い方は、「元気いっぱい演奏するので、皆さん楽しんでいってください」という感じだったと思う。この押し付けないコメントは素晴らしいじゃないか。KTを見て元気になったとかパワーをもらったと感じるのは自由。なんとも思わないのも当然自由。KTは押しつけてこない。

KTは倉敷市で「私たちの音楽の力で皆さんを元気にします!」と言うんだろか。言わされちゃうんだろうか。

気にするほどのことでもない

僕は、「○○の力」という言い方が増えてきたとき、自分の中でやもやした気持ちがあった。「なんでも簡単に「力」って言えばいいってもんじゃないぞ」と思ったりしていた。

僕は「人にやさしい、地球にやさしい」なんて言い方も好きじゃない。ひねくれてるんだね。

ま、些細なことだね。誰も気にしてないことだと思う。言い回し、言葉尻、話の流れの中で「音楽の力」っていう言葉が出てくることもあるだろう。気にするほどのことでもないか。

自分も押しつける

自分も人のこと言えない。

映画「火垂るの墓」を観ていて僕が涙ボロボロ流してても家族はシレっとしている。「お前らなんで泣かないの?おかしくない?悲しくないの?」と泣かない家族を批判する。

「これ、すごく悲しい映画だぞ」と決めつけて言ってしまう。僕は影響力がないので誰も共感してくれないけど、影響力のある人が言ったら、悲しまない方が変な人になってしまうだろう。

「音楽の力」は恥ずべき言葉 坂本龍一

以前、坂本龍一の談話を読んで、あーこの人は、音楽に関しては本当に冷静に見られる人だな、と思った。

最後にその記事を引用するので、よかったら読んで欲しい。

「音楽の力」は恥ずべき言葉 坂本龍一、東北ユースオケ公演を前に
引用元 2020/2/2 朝日新聞

 (前略)
 復興を祈る公演などを通じて、「音楽の力」で社会に影響を与えてきたのでは、と質問しようと話を向けると、強い拒否反応が返ってきた。
 「音楽の力」は「僕、一番嫌いな言葉なんですよ」という。
 「もちろん、僕も、ニューヨークが同時多発テロで緊張状態にあった時、音楽に癒やされたことはあります。だけど『この音楽には、絶対的に癒やしの力がある』みたいな物理的なものではない。音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです」
 なぜそうした考えに至ったのか。坂本は、ナチスドイツがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し、ユダヤ人を迫害した歴史を挙げた。
 「当時を経験していないのにトラウマでね。音楽には暗黒の力がある。ダークフォースを使ってはいけないと子どもの頃から戒めていた」
 坂本はこれまでに、TBSとの地雷ZEROキャンペーンや、環境プロジェクトに融資を行う「ap bank」などに関わっている。地雷問題は筑紫哲也の依頼で参加したが、ほかは「音楽というより自身の有名性を使ってアピールしたいと思ってやっている」のだという。
 日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。
 「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」
 音楽の感動というのは「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。
 「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」
 では坂本は、何のために音楽を奏でるのか。
 「好きだからやっているだけ。一緒に聞いて楽しんでくれる人がいれば、楽しいんですけど、極端に言えば、1人きりでもやっている。僕には他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので、音楽家が癒やしてやろうなんて考えたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うんです」

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